CHOKOLATE PAGE
毎日がヴァレンタイン

私、チョコレートってもう好きを超えてる。
生まれて初めてチョコ食べた時、
これがあれば、なんとか生きていけそうだ・・ってほのかに感じた事
覚えてる。初めての「甘美体験」だったわけです。
チョコと文学、ひっつけられるかわかんないけど
ちょっとトライしてみる。
失敗したら、大脱走したらいいことだもんね。フフフ

神様のボート(エクニカオリ)新潮社
を読んだ。
チョコレートが食べたくなった。 ちょっと苦いやつ
そう、高価なチョコって、ちょと苦い。 最後、箱をなかなか捨てられなかったりする。
箱のカカオの匂いって、いつまでもとれないからずっとそばに置いていたくなって・・
この物語に出てくる主人公の女性、不幸なのかもしれない
でも、この生き方、私は決して否定できない
私もこうなってしまう要素、めちゃめちゃあるから。 だから、読んでて少し怖くなった
いつまでも現実をみることができない
夢の中で生きてる。 神様のボートにのってしまう
最後の方は、かなしくて 涙をポタポタ落としながら読んだ。
小さい時からチョコばっかり食べてる。ある一定の量をきっと超えてる。
チョコがなくなったら箱をかたずけられる大人になりきれず
カカオの匂いに酔いながら、箱をずっと捨てれずにいる。
それは、小さい時、飽きてしまって、捨てた人形を
ふと思い出し、なぜ捨てたのかわからなくって、押し入れの中で涙したような
そんな気持ちを思い出した。現実を見る ということは、その人形をもう記憶から封印して
新しいおもちゃに気持ちを向けること・・なのかな
人を好きになりすぎると不幸になってしまうことも、現実にはある?
ノーと即答できないけど
私にとってチョコは、すべてを和らげる。 苦しみも・・

[あなたのパパというひとは、よりそって眠ってくれるだけで、たちまちママを
幸福の果てに連れて行ってしまった。いつでも」
ママによれば、パパは肌の温度が高く、肩の下のくぼみが、ママのほっぺたのかたちにぴったりなのだという。
「あのひとのそばで眠れば、なにもこわくなかった」

この文中のコトバ、まったく同感。 彼氏彼女・・ではなく、 男と女であるということ
一緒に生きていくということ、それにはやっぱり空気とか、肌があわないと(深い意味でなく)
難しいものがある。 毎日一緒に眠る人が、自分のカラダにやさしいか、 これって大事
彼の体温は、いつも一定に暖かく、私を安らぎへと導く・・・その感覚をあらたに思い出してしまった。
そう、何もこわくない。ってかんじ・・・
それを新たに確認できただけでも、読んだ価値ある物語だった。
私も彼も、中途半端なインモラルだから、「一瞬」でなく「ずっと」暮らしていけるのかもしれない・・・

あるお店のチョコが食べたい。それだけで銀座に行ってしまいそうだ
そうそう、逗子マリーナ、久々にまた行きたい
ピアノも弾きたいな


マイブームチョコ
中学の時、「きのこのやま」のハコを筆箱にしていたほどのきのこのやま好き。
「たけのこの里」に浮気しても、やっぱ帰るとこは、きのこのやま。
1999的には、ハーシーの、マーブルっていうのかな?白と黒混ざったやつ。
あれは、もう目からうろこ、鼻から血、瞳から愛液(?)ってかんじでした。
あと、森永の「フワレ」。スーパーの棚で女王のように他の商品の真上に積まれたあなたを見た時
まるでお菓子のミューズが現れたかと思った。
パッケージがめちゃおしゃれ。「ふんわりチョコレートにフルーツをちりばめました」もうレジ直行。
お口の中でホワーっと広がる甘さ、クセになりそう。もち、空箱、捨てずにいます。食べてみてくださいね。

あと、ヴィドフランス(桂のヴィドには、週3以上行ってる)のチョコガトー あれ、なんとかせんと
私の体内、水分かガトーか・・ってことになりそうなくらい美味い。飽きない。もうキャンディこまっちゃうー!
板チョコの入ったコルネパンも、たまりません

モロゾフに、「チョコタルト」が新発売になっててかなりおいしそうです。
ハロウィ−ンも近いし、お菓子業界は、大忙しですね。

次回更新は、「私のヴァレンタイン、四半世紀を振り返る」がテーマです。
おいしいチョコについて。チョコレートについて哲学的に語る。チョコレートの出てくる小説など、
チョコ情報、ヴァレンタイン情報、くださーい!

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